人は自分の判断は正しかったと思いたい生き物
最近、よく思うこと。それは
人は自分の判断を肯定したい生き物だということ。
私は関西に生まれ育ち、広島と東京で働き、今ドイツにいる。
そして、国内外問わずいろんな土地を訪れることが趣味です。
どこで生活し、何に価値を感じお金を投じるか、これは私の判断です。
東京にいたときは、関西の友人からよく東京の悪口(いつも人が多いとか、興味をひかれるものがない、面白い人がいないとか)を言われていました。
そういわれると、「たしかに、東京の人口過密は問題。だけど、東京で出会う人の多くは地方出身者で、みなそれぞれ故郷を思う気持ちを心に抱えて、大都会で必死に生きている。まず実家でて、関西でて、他の土地で暮らしてから文句言ってみろ」と全力で反論していた20代のころ。
ドイツにいる今、ご飯が美味しくて、サービスのいい日本がやっぱり一番だ。海外に住むなんてありえない。海外旅行なんて行く意味感じない。と言われることがあります。
そういわれると、「確かに食に手をかける日本の文化は素晴らしいと思う。でもドイツのように多言語多文化の人を受け入れる寛容の風土は日本にはないじゃないか、サービスだって過剰な面があって精神を病む人がいたり自殺者がでたり、ひずみがでてきているじゃないか」
とやんわり反論する。大人になったのでやんわり言う。
私は自分が生まれ、育ち、歩んできた道のりを肯定したい。それと同じようにずっと日本で、地元で、海外旅行なんてお金の無駄で全部ネットにのっているのになんでそんな無駄をするのかと生きてきた人だって、自分の人生を肯定したい。
みんなが自分は正しくて、自分と違う意見を持つ人は正しくないと言ってしまうのは
実はどちらも正しいのだと知っているからだと思う。ただ、自分は間違っていないと
思いたいだけなのに、他人を否定する必要なんてないのに、自分を守ろうという防御反応が強すぎて手段を間違う。
自分も正しい、あなたも正しい、ただ違うだけ。
それが私のありたい姿だなと思う今日この頃です。