ぼのにっきのブログ

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寂しさについて思うこと

こんにちは、ぼのにっきです。

 

帰国まで残すところ2週間となりました。

コロナ変異種の影響で、帰国後の隔離と検査が強化されるようですが、

どうなろうと帰るしかないので、どうにでもしてくれという気になっています。

 

それより私の興味の中心は、帰国が一日一日近づくと共に、刻々と強くなる帰国するのが”寂しい”という気持ち。なぜ寂しいという感情は人に備わっているのでしょう。

 

寂しいなんて感情が人間になければ、

余計なカロリーを摂取して、美容や健康を害することもなく

趣味でもない服を買ってしまって、お金を浪費してしまうこともなく

イケメンでも将来性もないような男に引っ掛かって、時間をドブに捨てるような

そんなことは起こらなくて、人生は効率的ではないかと思うのです。

 

それなのに私たちには嬉しい、恐いと同じように寂しいという感情がある。”寂しい”は私たちに何を教えてくれているのだろうか。

 

 

「寂しい」という言葉で私が一番に浮かぶ歌が『Puff, The Magic Dragon』という歌です。ドラゴンと少年が出てくる歌なので、子ども向けのイメージが強いですが、印象に残るサビは大人も口ずさまずにはいられませんし、切ない歌詞を理解するには経験が必要なようにも思います。


Puff The Magic Dragon -- Peter, Paul & Mary ~ Live 1965

 

魔法のドラゴンのパフに、ジャッキー・ペパーという友人ができます。二人は一緒に冒険に出掛けます。楽しい経験をたくさんします。でもドラゴンであるパフは年を取らないのに、少年ジャッキー・ペパーは大人になっていきます。いつしか、ジャッキーはパフのもとに遊びに来なくなります。

 

これだけで十分寂しいですね。でも、まだこれだけなら「意外とパフは一人が好きだから大丈夫なんじゃないか」とか「ジャッキーの後にも誰か他の友人ができたんだろう」とか寂しさから逃げる想像の手段はある。しかし、続く歌詞はそうじゃないんだよと言う。

 

ジャッキーがもう遊びに来ないのだと理解したパフは

・His head was bent in sorrow, Green scales fell like rain.

悲しみに打ちひしがれてずっと下を向いたままとなり、

パフの緑の鱗は雨のようにハラハラと剥がれ落ちました。

・Without life long friend, Puff could not be brave,

  So Puff that mighty doragon Sadly slipped into his cave.

一生の友達だと思っていたジャッキーを失って、パフはもう勇気が湧かない。

悲しい気持ちのまま洞窟に籠ってしまいました。

 

可哀想なパフ。だけど、大人になっていくジャッキー・ペパーも責められない。自然の摂理でしょう。メロディーが楽しげなだけに何でこんなに歌詞が悲しいのか。パフの寂しさを思うといたたまれなくなります。

 

しかし、"寂しい"っていう感情はそう悪いものでもないと、帰国間際にして思うのです。デュッセルドルフを離れるのが寂しいのは、ここでの生活が楽しかったから。正確に言うと楽しいことも楽しくないこともあったけど、楽しかったことがあったのは事実だから。

 

語学学校に行くために乗ったトラム、妊婦検診で病院に行くために渡った橋、春にはリスやウサギが出てくる公園、ただの家の裏の道さえも全部全部忘れたくないんだーーという気持ちが湧いてくる。何気ない毎日が楽しかったのだなぁ、すっかり愛着が湧いていたのだね、ということに気付く。

 

実際は言葉が通じる日本の方が暮らしやすいし、日本に帰らないと教員にもなれない。

わかってはいるのだけど、それでも寂しい。パフもそうなのかな。ジャッキーが大人になっていくのは当たり前。でも寂しい。仲良くならなければよかったとは思わない。でも寂しい。パフはときどき宝物のビー玉を夕日にかざしてみつめるように、ジャッキーとの日々を取り出しては眺めているのではないだろうか。

 

ジャッキーがいなくなっても、パフは魔法のドラゴンだし

ドイツを離れても、私は私という人間で、

当たり前のようだけど、生き物が生きるということは過去を作り出していくということで、それに良いも悪いも意味付けは不要であるという風にも思います。

 

それでも"寂しい"の意味を考えるとすれば、自分にはこんなに素晴らしいものが与えられていたのだと気付くことができるのは"寂しい"のおかげなのかなと。そして、自分の人生を一層愛おしく感じたり、たそがれ時に思い出してはフフフとなる思い出ができたり、そんな人生をちょっとだけ深いものにしてくれるのが"寂しい"が存在する意味ではないだろうかと、そんなことを考える今日この頃です。