環境かその人自身か
こんにちは、ぼのにっきです。
私が長年考えていることの一つに、
【人の幸不幸は環境によって決まるのか、それともその人自身で決まるのか?】
というのがあります。
ドラマ『あまちゃん』で昔アイドルを目指して東京に行った春子が言っていました。
「田舎が嫌で飛び出した人間はダメね。田舎でも都会でも同じ。結局は場所じゃなくて人なのよ。」と。
映画『かもめ食堂』でもヘルシンキで食堂を経営するサチエが言っていました
「そりゃそうですよ。楽しい人はどこにいても楽しいし、寂しい人はどこにいても寂しいんですよ。」と。
私もそうなんではないかと最近思っています。
現時点での結論。幸せかどうかは "その人自身で決まる" です。
同じ駐妻でも、
・こちらの生活を楽しんでいて、旅行に行けない今でも、いろんなハーブティーを試したり、ドイツパンを焼いてみたりしている人と、
・荷物は届かないし、ドイツ語わかんないし、日本に帰りたい、と思う人
同じ駐妻でも駐妻生活にポジティブな人もネガティブな人もいる。どっちか一方というよりは日によって変わる。幸せって何だろうと思う日々。
そして気づいたことには、幸せって受動的な感情だと思っていたけれど、かなり積極性を要する。幸せは、感じようと思わないと感じられない。「誰か私を幸せにしてよ」って、言葉にすると「いやいや、いやいや。奥さんそれはないですよ。」と思うんだけど、どこか心の中で思っている。おかしいな?もう私、十分大人やのにな。
幸せを積極的に感じるという行為が、不幸せな人はなかなかできない。幸せは探さないといけないんだってこと知らず今までやってきたから。まぁ、それも幸せなことかもしれません。一方、どこでも幸せな人は過去に何度も経験済みなので、当たり前のように幸せを感じられる要素を見つけて楽しくなれる。あまりにスムーズな所作だから、努力しているようには自分も周りも感じることなく、周囲からは「あの人は幸せな人」とただ思われたりするんじゃないだろうか。
私もDHLの荷物が届かなくてイライラしたり、日本に住んでいたら取れた教職の単位もかなりあるよなと思うと、「くそー駐妻不便だーー!」と思うのは日常茶飯事。でも、日本に帰っても不幸の種はたくさんあります。ドイツでも、日本でも、どこにいても結局は自分。育児に仕事に日々の幸せを見つける生き方を自分は選択したいと、そんなことを考えている今日この頃です。